【略 歴】※ちなみに・・・富永氏の名前は、「一郎」ではなく、正しくは「一朗」です。
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| 大正14年京都市に生まれる。 |
| 大分県佐伯市に移り、少年時代を過ごす。 |
| 台湾師範学校へ入学。が徴兵され終戦を迎える。卒業後、帰国し、大分県佐伯市で小学校教師となる。 |
| 昭和26年上京。漫画家としてスタート。 |
  
昭和28年〜 当時、「赤本」と呼ばれた子供向け漫画単行本や貸し本マンガを数多く執筆。流行歌手を表紙にした少女向け単行本など。内容は非常にシリアスな悲劇の少女の物語。
昭和33年 漫画家杉浦幸雄氏に師事する。 |
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昭和35年 「走れゴンサン」出版、代表作「ポンコツおやじ」(漫画サンデー)、「チンコロ姐ちゃん」(アサヒ芸能)の連載スタート。七五調の軽快なセリフまわしと独特の画風で大ヒット。
以後、「せっかちネエヤ」「ピコ」「おのろけトンコ」「なんとかシテ代」「胃餓のドロン太」などの数多くの作品を世に送り出す。 |
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昭和51年 TV「お笑いマンガ道場」放送スタート。
レギュラー解答者として出演。「おっぱいマンガ」、そして同レギュラーの鈴木義司先生とのやりとりが大好評で、18年間の長寿番組に。本当にお二人は仲が悪かったのか?というと実は昭和26年上京以来の友人とのこと。しかしお互い漫画家。本番中はついつい力が入って、負けじと罵詈雑言の応酬に。他出演者は、車だん吉さんや、新人の頃の川島なおみさんもおられました。(だん吉・なおみのおまけコーナーも記憶に残っていますね。)
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| 昭和61年 「一朗忍者考」日本漫画家協会大賞受賞 |
| 平成 4年 紫綬褒章受章 |
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平成 9年「富永一朗の快老人生」出版。
自らの糖尿病による節制生活、誰しもが迎える「老い」の年代、
そんな不安な老後の人生をスカッと笑い飛ばす。
富永一朗流、快老人生の処方箋。
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| 平成10年 勲四等旭日小綬章 |
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